夫婦で営む小さなバーの厨房から見える悲喜こもごも・・・


by delicayumama

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去年の今頃

店は相変わらずヒマな毎日。
それも「ど」がつくほど。
昨日も今年、だから今月二回目のすうぱあまんさんの出動になってしまった。

マスターと二人でなんでだろう?と首をひねる。
ここ数年ずっと右肩下がりではあったが今年は特にひどい。
そんな時は閻魔帳ならぬカレンダーを見ると去年と今年の違いはすぐわかる。

長い常連さんで去年の今頃は足繁く通ってくれていた人が昨年の夏以降とんと顔を見せなくなった。
理由は結婚するからだ。
私を一人にしないで〜と言うのか、貴方の体が心配〜と言うのかは知らないが、飲みに出掛けるとご機嫌が悪くなるらしい。
幸せになるためには何かを犠牲にしないと駄目なのか。

他にも週一くらいで来てくれてた人が何人か来なくなってる。
団塊の世代の人達で健康面では微妙な年齢だがお元気なんだろうか。

それでもあの人この人と思い浮かぶ人数の少ないこと。
このままでは間違いなく近い将来に閉店せざるを得ない。
いつもそんなこと言ってるけど、店やってるやん!って?
影で涙ぐましい努力をしてるのを知らん人はそんなこと言うのだ。

今回の母の事故は弱り目に祟り目みたいなことだが、店があるから頑張れることもあるし、逆に店がヒマでも考えなきゃいけないことがたくさんあって間が持つとも言える。
あまり前向きな考え方とは思わないけど。

さて皆さんにご心配をお掛けした母の退院は、結局三日になりました。
叔父が病院側と直接話をしてくれましたが、母は良くなってるしやはり入院を待ってる人が多いということでした。

いろいろ言っても仕方ない、いつかは退院しなくちゃならないし、母も乗り越えなきゃいけない試練の時です。
退院後もご近所さんや母の友人や、たくさんの人のお世話になって暮らすことになるでしょう。
私も当分毎週帰るつもりです。

三日に家に入った時の母の開口一番が楽しみなような怖いような…
私が見て不要だと思うものはほとんど捨てました。
思わぬ早い退院で二階はまだ手付かずに近い、それが心残り。
母が寝起きする部屋を二階から一階に変えたことや、台所をだいぶ片付けたことが母の脳を刺激して元気になるかボケるか、それはわからない。
豆撒きと巻き寿司で誤魔化すしかないかなあ。
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by delicayumama | 2013-01-31 17:09 | Moi(私)

困ったもんだ

母が今の病院に入院してまる一週間の昨日、診察時にそろそろ退院と言われたと夕方に母から電話があった。
最初の治療方針書みたいなものには二、三週間と書いてあったはずだ。
それでも短いと思っていたくらいなのに一週間で脅威的に回復したということか。

しばらくしてまた電話があり、今度は病室に来た婦長さんに退院おめでとうと言われたと言う。
まだ日にちも決まってないし自分は退院したくないと言うと、もっと重症で待っている人がいっぱいいるし、前の病院で一月もいたんだから…からと言われたらしい。

私にしたら、ちょっと待ってくれと言いたい。
最初に二、三週間と言えば家族はその段取りをする。
それを一週間で退院おめでとうも驚くが、前の病院で一月いたんだからもういいでしょみたいな言い方はどういうことだと言い返したい。
入院したくてしたんじゃない、不慮の交通事故で入ったのだ。
おまけに帰って一人で生活できるか不安を抱えた年寄りに突然何ということを言うのか!
良くなってますよ、この分なら早く退院できそうですよ、くらいで家族に相談とかないのだろうか。

案の定、夕べ眠れなかった母からは朝早くに電話が入り、あんなに言うんだから日曜日に退院すると言う。
私はそれなら前日の土曜日には店を休んで帰ろうと計画を立てた。

昼過ぎにまた母から電話。
今日は誰にも退院のたの字も言われないから、自分からも聞かずにおくと言う。
ちょっと待ってよ、私の方も都合がある…と言いかけたところで電話が切れた。
テレホンカードが無くなったようだ。
先が思いやられる。
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by delicayumama | 2013-01-30 14:42 | Moi(私)

舞う雪に

母がリハビリで入院している病院は実家から南に十分ほど車で行ったところにあります。
駅前から実家の近くを経由してバスがあるので私はその時間に合わせて帰ったのですが、バス停まで行き時刻表を確認すると、なんと日祝は終日運休とあり私は目がテンになりました。
仕方なくタクシーに乗りました。

のどかな田園風景の中にあり、想像していたよりずっと小さな病院でした。
一階が診療所とリハビリの部屋、二階が病室で入院患者は二十人あまりではないかと思います。

母の病室は二階の中庭に面した四人部屋で、中庭には洗濯物を干せるようになっていて、それで洗濯バサミが必要なのでした。

病室でいると窓の外に雪が舞い始めました。
母に告げると知り合いが洗濯物を干しているから言わなくちゃと言い、すたこらと出て行きました。
やがてその人と母が中庭に現れて二人で洗濯物を取り込みます。

二人ともパジャマこそ着ていますが、ずっと長い間そこでそうして暮らしているように見えました。
考えたら昨日の日曜日はまだ一週間経っていないのです。
世間の老人ホームがこんなような感じならいいのにとおもいました。

そんな母もあっという間に退院の日を迎え、父のいない家に帰るのは寂しいのではないかと思います。
父もまたおぼろな頭で母との生活を思い出しているでしょうか…舞う雪を見ながら。
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by delicayumama | 2013-01-28 14:56 | Moi(私)

リハビリ生活

昼過ぎに母から店に電話があった。

明日は何時に来るか?
持って来て欲しいもの。
手鏡(あったやつを落として割ってしまった)洗濯バサミ、葉書5枚、入れ歯の洗浄剤

一度実家に寄って持って来いと言うが、時間がもったいないし大阪でそろうので駅からそのまま病院へ向かうつもり。

入院してから自分で大阪に電話をかけて来たのは始めてのこと。
自分の手帳に大阪の電話番号を控えてあったが遠慮してかけなかったか、最近番号を見つけたかは不明。
これから再三かかって来るのを覚悟した。

今の病院では二、三週間しか置いてくれないと言う。
私達は一月くらいと思っていたので、二月の中ほどには二回泊まりがけで帰って大きなゴミを出してしまおうと思っていたので、それまでに退院されると計算が狂う。

置いてくれないと言う言い方からして退院したくなさそうに聞こえる。
暖房のきいた部屋での上げ膳据え膳。
ましてや頭の傷も痛まず足も達者ときたら葉書の一枚も書こうかと退屈しのぎを思い付いたのだろう。
母は私と違って達筆なのだ。

明日は昼前には着きますよ。
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by delicayumama | 2013-01-26 13:26 | Moi(私)

老後

何か事が起きるといつも「諸行無常」と言う言葉が頭に浮かび、やっぱりねと思う。
頭のどこかではわかっていても、日々の暮らしが穏やかであればそれに越したことはなく、私達も長い間ぼんやりのんびり暮らして来た。

故郷に帰れば座る間もなく夜を迎えるが、大阪での生活も今までとは違い雑用が増えた。
保険会社に出す書類、両親の介護に関する諸手続き、母の病院のこと、父が迷惑をかけた施設の後始末…

私の携帯は自分の楽しみの為にだけ存在していたのに、母の事故の日から電話としての機能がフル回転し始めた。
あちこちで私の携帯番号を記入したからだが、それまではまず携帯に電話など入ることがなかったのだ。

もう一つ変わったことは我が家に介護施設のパンフレットや書類があるようになったこと。
父の関係で今朝そんなパンフレットを見ていたら、オットが横で呟いた。
「考えなあかんな。」
父のことか?と聞くと違うと言う。
自分達のことらしい。

子供もいないし老後の世話を頼める人もいない。
どちらが先にどうなるか、そんなことはわからないが、まだ四人いる親のことが落ち着く頃には直に自分達のことも考えないといけなくなる。
そんな年齢になってしまった。

それにしてもヒマな毎日。
老後を考える前に店のこと考えなきゃ。
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by delicayumama | 2013-01-24 17:37 | Moi(私)

トリアージ

最近ちょくちょく耳にするこの言葉。
災害の時の医療のことだけに限らず、人が生きていく上で物事に優先順位をつけざるを得ない場面に出くわすことがあると今回思い知った。

父がお世話になっている病院から最近になって電話が入るようになった。
母の事故から一月。
それは父を病院に入れてからも一月ということになる。

最初のうちは母のことで手一杯だったが、母が回復するにつれ父のことを考えるように、世の中の流れもうまくできているように思う。

先日は担当の看護師さんから、今日はおそらく父の身の回りのお世話をしてくださっている方だと思うが、衣類の補充の依頼だった。
また日曜日には帰るので、実家に寄って荷物を作ろうと思う。
まだまだ寒いので冬物でよい。

父の毎日をいくら想像してもわからないが、暖房の効いた部屋で寝起きして三度の食事や入浴や衣類の洗濯をしてくれる人がいると思うだけで気持ちが少し救われる。

今年の春はどんなんだろう。
早く春になって欲しいような、そうでないような。
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by delicayumama | 2013-01-23 19:33 | Moi(私)
母の転院は無事終わったろうか。
付き添ってもらった叔父夫婦からは連絡はない。

今日のお昼までいた病院で、母はリハビリの先生の話をよくしていた。
男性で24歳、イケメンで優しいと。
私も一度だけお会いしたことがある。

その先生が連休でお休みの時には出された宿題を一生懸命やっていた。
リハビリの宿題だから足に重りをつけて十回ずつ足を上下させるというだけ。

転院が近付いて「もう少し入院していたい」とその先生に言うと
「そんなに長く入院したらボケます」と言われたそうで
「あの先生、よく言うわ」とふくれっ面をして言った。

転院するのに化粧品がいるだの、まだ髪の生え揃わない頭に帽子がいるだの
、病院を変わるのに?と思うくらい元気な年寄りは今頃、昨日までとは違う風景を窓から見てることだろう。
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by delicayumama | 2013-01-22 16:35 | Moi(私)

お別れ

故郷から帰りの新幹線の中。

母の転院が火曜日に決まった。
転院の付き添いは母の妹夫婦がしてくれる。
今度の病院は最寄り駅からは歩けない距離なのでタクシーかバスになる。

四人部屋の皆さんともお別れ。
特に向かいの方とはお付き合いも長くなり、何かとお世話になったことだと思う。
私が大阪に帰る時にはいつも「お気をつけて」と言って下さった。

帰りがけにお別れのご挨拶をした。
病院で相部屋になるのも何かのご縁と思う。
おそらくもうお会いすることはないと思うと、母だけでなく私まで寂しいがいつまでも病院にいるわけにもいかない。

皆さん早く良くなって、またお家で楽しく暮らせますように。
さて来週からは違う病院。
どんな人とお知り合いになるだろうか。
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by delicayumama | 2013-01-20 19:49 | Moi(私)

回復

母が介護サービスを受けるための認定も警察の事情聴取も終わった。
心配していたことは、警察と事故の相手から聞いていた事故現場と母が私達に話した場所が違うことだった。

かかりつけの病院に通うために何度も通る道。
あの日は雨が降り始めたので図書館で傘を借りようと急いでいたようだ。
その時に自分が通った道、事故にあった場所を事故の数日後ティッシュの箱にボールペンで書いて私達に説明していた。

事故当日の夜、私は警察に電話して事故係りから状況を聞いたが、長年故郷を離れている上に市内の道も昔とは様変わりしており交差点の名前も変わっていたし、ましてや電話では要領を得なかった。
ただ母は横断歩道を渡っていなかったことと母が渡る方向は赤信号だったということだけが頭に残った。
そして目撃者がいること。
それらのことは母にも話してあった。

昨日の病院での事情聴取で、母は事故係りから知らされる本当の事故現場を知ることになり、自分の記憶が間違いだとわかる。
それが母にとって大きなショックではないかと私は考えて、立ち会いを頼んだ叔父にも母を宥めてもらうようお願いしておいた。
自分に認知症の兆しがあるのではないかと悩むのではないかと思ったからだ。

ところが事故係りがどう話したか、自分が進んだ方向は青信号だったと聞いたようだ。
正確なところは警察に聞かないとわからないが、横断歩道を渡っていないことには違いないが、事故の場所よりもそちらのほうが母には重要だったみたいで、その事を私に知らせてくれと頼んだ叔母から夕方電話があった。

母にしたら自分が少しでも正しかったと主張したいのだと思う。
私はまた始まった…と気が滅入る。

これからは必ず横断歩道を青信号で渡ることを事故のあとの早い時期にこんこんと言い聞かせた時にはうんうんと反省して頷いていたが、体も楽になってきた上に自分の非が少しでもなくなったと思うと反撃に出てきたに違いない。
長年の付き合いで娘にはわかるのだ。

明日はまた朝早い新幹線で帰る予定だが、今までは早く病院に行きたかったのに、今回はもう気が重くなってきた。
顔を見るなりその話をするに違いないし、私の間違いを指摘するだろう。

それも回復の一つと思うか。
やれやれ…
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by delicayumama | 2013-01-18 12:52 | Moi(私)

おばあちゃん?

母は四人部屋。
母以外の方はみんな脳梗塞で入院されてるので、日中に見舞いに行ってもたいていみんな横になっていらっしゃる。

母がそこへ入った時は先にいらした方はお一人で85歳と聞いた。
私くらいの年齢の娘さんが三人、みんな近くにいらっしゃるようで、孫が来たり曽孫が来たり絶えず賑やか。
それを母は羨ましそうにいつも言う。

一番最後に入って来られた方も85歳。
上品そうで綺麗な方だ。
社交的な母は誰にでも話しかける。
自分が一番若いし足は大丈夫なのでうろうろしてはお喋りをするらしい。
そして足にクリームを塗ってあげたら喜んだとか言う。

私が帰る時には「あのおばあちゃんに挨拶して帰ってな」と言うので
「おばあちゃんって言ったらダメ!」とたしなめた。
私がその相手ならおばあちゃんにおばあちゃんとは言われたくないからだ。
女はいくつになってもその辺は敏感ではないか。

人に言われて嫌なことは自分も人には言わないでおこうと、私は母から学んだことを母はまだ気付いていないようだ。

希望の転院先が万床で少し離れた病院になりそうだ。
冬場はリハビリで入院するお年寄りが多いらしい。
今日の介護の認定は無事終了と叔父から電話あり。
明日は警察が母の所へ行き事情聴取をする。
実は母から聞く事故の場所と相手から聞く場所が違うのだ。
でも目撃者がいるので、たぶん母の勘違いではないだろうか。
母には産まれて始めての試練がまだまだ続くようだ。
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by delicayumama | 2013-01-16 15:25 | Moi(私)